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ボスニア・ヘルツェゴビナ

多民族・多文化・多宗教が交じり合うがゆえに、幾多の戦乱の場ともなったと同時に、多層的な豊かな文化を育んできました。現在のこの国は、「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦」と「セルビア人共和国(スルプスカ共和国)」という2つの自治体から成り立っており、それぞれ独自の大統領や議会を持っています。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ基本情報 | ボスニア・ヘルツェゴヴィナを含むツアー例

面積51,126平方Km(福島県以北の東北地方よりやや広いくらい)
人口385万人
首都サラエヴォ
時差日本より8時間遅れ(サマータイム時は7時間)
言語ボスニア語・セルビア語・クロアチア語など
宗教イスラム教・セルビア正教・カトリックなど
ビザ観光目的で3ヶ月以内の滞在ならビザ不要。出国時に3ヶ月以上の残存がある旅券所持のこと
気候内陸性気候の地域が多い。旅行のベストシーズンは5~9月
その他詳細はこちら

みどころ(観光地情報)|★=世界遺産|写真はクリックで拡大します

サラエヴォ

サラエヴォの街は、周囲をディナール・アルプスに取り囲まれ、ミリャツカ川周辺に広がっています。多くの異なる宗教が共存してきた多様性で知られており、イスラム教、正教会、カトリック教会、ユダヤ教が何世紀にも渡り、互いに同じ街に住みながら、それぞれ独自のアイデンティティを維持し続けてきました。
近代では、1914年に街の中心街にあるラティンスキー橋がオーストリア帝位継承者の暗殺事件の現場となり、この事件によって第一次世界大戦が引き起こされました。1984年には冬季オリンピックの会場となり、ユーゴスラビア崩壊のときには、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において数年間にわたる包囲を受けたことでも知られています。
現在のサラエヴォは復興開発が進み、紛争前の水準を回復しつつあり、国の経済・文化活動の拠点となっています。
興味深いトピックとしては、サラエヴォはヨーロッパで初めて、そして全世界で2番目に早く終日運行の路面電車が運行された町なことや、世界的にシェアを占めているガイドブック・ロンリープラネットの2006年「世界の都市」ランキングで43位としてあげられており、これは他の旧ユーゴ諸国を抜いてトップです。

ブレロ・ボスナ

サラエヴォ郊外・イリジャから車で約15分という都市圏にあるボスナ川の源泉で、ボスニア国内でも重要な水源の一つです。この地域ではもっとも美しい自然景観の一つとして有名で、観光客が散策や自然を楽しんだり、地元の人がリラックスする自然公園となっています。
サラエボからの日帰り半日観光にはもってこいです。

トンネル博物館

サラエボ空港の近くにある、ボスニア紛争時にセルビア人勢力に包囲されたボスニア勢力が、包囲網の外との人や物資の往来のために掘った約800メートルほどのトンネルの一部・約20mを公開している場所です。 トンネルだけでなく、当時のままの銃弾の跡が無数に残る家屋や、輸送用のトロッコのレールなどを目にできます。

スレブレニツァ

ボスニア東部・スルプスカ共和国に属する塩の採掘と温泉を産業の中心とする小さな町ですが、この街の名はそれ以上に、「スレブレニツァの虐殺」として知られています。これは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1995年7月、スルプスカ共和国軍によって推定8,000人のムスリム人が殺害されたとされる大量虐殺事件で、第2次世界大戦以後ヨーロッパ最大のジェノサイド(2004年、オランダ・ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)にて認定。しかしこの認定には議論もあり)といわれています。

スレブレニツァの北西約6kmのところにあるポトチャリには、スレブレニツァ虐殺記念館・碑・墓地があります。建設費用は600万ドル(うち100万ドルがアメリカの寄附)で、2003年9月20日に開設され、アメリカ元大統領ビル・クリントンが立ち会いました。集団埋設地から発掘される虐殺被害者の遺体は、セルビア人勢力が事件の隠蔽のために埋設地の遺体の場所を次々に移し変えたため不完全なものが多く、手や足など、体の一部のみが見つかる事例が多いといわれます。DNA鑑定によってそれら遺体の身元が特定され、埋葬に十分な量の遺体の各部分が集まると、毎年7月11日にポトチャリの記念館で埋葬が行われます。

ヴィシェグラード:★「ドリナの橋」のモデル_メフメット・パシャ・ソコロヴィッチ橋

ヴィシェグラードは、ボスニア生まれのノーベル文学賞作家イヴォ・アンドリッチの小説「ドリナの橋」で広く知られています。正式名称を「メフメット・パシャ・ソコロヴィッチ橋(ソコルル・メフメト・パシャ)」というこの橋は、サラエヴォとイスタンブルを直接結ぶルート上にあり戦略的・経済的要地であったヴィシェグラードのドリナ川に、1571年にオスマン帝国の大宰相ソコルル・メフメト・パシャの命に基づき、宮廷建築家ミマール・スィナンの設計によって着手され1577年に完成しました。全長179.5 m、11の石組みのアーチから成る橋は、2度の世界大戦で壊滅的な被害を受けましたが、その後再建されて今に至ります。
2007年には、当時のオスマン帝国の建築水準の高さを証するものとして、ユネスコの世界遺産に登録されました。
旧ユーゴの有名な映画監督エミール・クストリツァが計画した、「アンドリッチグラード」というテーマパークのようなところもあり、川沿いのカフェレストランから、橋がきれいに見えます。

ヤブラニツァ

第2次世界大戦中の1943年1~4月、チトー率いるパルチザンとドイツ軍を筆頭とした枢軸軍が戦闘を交えた「ネレトバの戦い」の舞台の一つです。ネレトヴァ川を背後にした谷間に押し込められ進退窮まっていたパルチザンは、川に架かる唯一の橋を自ら爆破し敵を欺くというチトーの巧みな計略により、圧倒的多数の枢軸軍を出しぬいて壊滅を免れ、最終的な勝利への道を開いたといわれます。爆破された鉄橋が川に倒れこんでいますが実物ではなく、1969年製作の映画「ネレトヴァの戦い」の撮影時に作られました。周辺には記念碑や博物館もあります。

モスタル ★

街の中央を流れるネレトヴァ川にかかる橋(スタリ・モスト)が象徴的なボスニア南西部の街です。全長28m、高さ20mのこの橋は、1566年に木製の橋から石橋に代わり造られたオスマン時代の重要な建築物の一つで、2005年には橋とその周囲の旧市街がユネスコの世界遺産に登録されました。 ボスニア紛争時の激戦地のひとつで、異なる民族間相互の対立から街は川を境に分断され、ついに1993年11月9日には、クロアチア勢力側により両者を繋ぐスタリ・モストは破壊されてしまいました。翌1994年に市街戦は収束するも、今日でもその痕跡はあちこちで目にするとともに、街の雰囲気は分かれており、川の東側はトルコ風な町並みでムスリム人が住みモスクがある一方、西側にはクロアチア人が住みキリスト教会がありと、はっきりと異なっています。 現在の橋は2004年7月に再建されたもので、今日では見世物として橋の上から川へ飛び込む若者の姿をみかけたりもします。

メジュゴーリエ

モスタルから南へ約25kmにある小さな村ですが、1981年6月24日、6人の若者が丘の上に幼い子供を腕に抱いた聖母マリアを見、その日から若者達は聖母の出現を受けるようになったといわれ、有名な巡礼地になり、多くの巡礼者・観光客が訪れます。(しかしカトリック教会はこの聖母出現の現象を公認していません。)

ブラガイ

モスタルの南東約12kmに位置する小さな町で、200mの岩壁の裾から流れ出るブナ川源流があります。絶壁の下には、16世紀のオスマン帝国時代に建造されたイスラム神秘主義の修道院スタラー・デルヴィシュカ(ダルウィーシュ)・テキヤがあり、博物館や売店もあります。徒歩約30分程度の丘の上にはブラガイ要塞があり、街を見渡せる良いビューポイントでもあります。

ストラッツ

モスタルの南東約40kmの町で、122の中世の墓石がほとんど無傷で残っています。これは13~15世紀にかけてボスニア各地で作られたネクロポリス(ボゴミール派キリスト教徒の墓場)です。大きな墓石には色々な絵や模様が彫り付けられています。ボスニアに残る1万近くの墓石の中でも、ここストラッツのネクロポリスが一番見ごたえがあるといわれます。

トラヴニク

国土のほぼ真ん中、サラエヴォから約2時間のところにある街で、小説「ドリナの橋」でノーベル文学賞を受賞したイヴォ・アンドリッチの出身地、「ボスニア物語」の舞台として知られています。彼は1892年にこの町で生まれ、幼年期を「ドリナの橋」の舞台ヴィシェグラードで育ちました。彼の生家は現在は博物館となっており、後年住んだベオグラードにも博物館や墓があります。

ヤイツェ

ヤイツェはプリヴァ川とヴルバス川の合流地点にあり、美しい滝で知られており、街から約5kmの郊外にはプリヴァ湖(ブレナ)が広がる風光明媚な街です。
同時に歴史的側面も多く持ち、要塞が丘の上にたつ中世ボスニア王国最後の首都としても知られています。 また、第2次世界大戦終盤の1943年11月21~29日には、このヤイツェにおいて、ユーゴスラビア人民解放反ファシスト会議(AVNOJ)の会合が開かれ、ユーゴスラビア連邦の建国、チトーをその首相とすること、「セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人、マケドニア人、モンテネグロ人、またはセルビア、クロアチア、スロヴェニア、マケドニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの全ての人民の平等が保障される」ことなど、重要な議決がなされた歴史の舞台でもあります。

バニャ・ルカ

西北部にあるボスニア第2の都市であると同時に、スルプスカ共和国の事実上の首都となっています(法的な首都はサラエヴォに隣接するイストチノ・サラエヴォ)。1930年代にヴルバス州の総督の邸宅として建てられたバンスキ・ドヴォルは、国会やコンサートホール、ギャラリー、国営テレビ局、レストランなどが一緒になっており、スルプスカ共和国の政治、文化の中心として町を象徴する建物でもあります。 1969年10月26・27日のM6.0~6.4の2回の地震によって市街の多くの建物が被害を蒙り再建されました。街では今でもその日時を刻んだ時計を目にできます。街を流れるヴルバス川の左岸には中世のカステル要塞があり、夏にはコンサートが行われたりもします。街の周辺には森林地帯が広がり、バニ丘やクルパ近くのヴルバス川の滝、ヴルバス川のラフティング、ヴルバス峡谷のハイキングなども楽しめます。

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ボスニア・ヘルツェゴヴィナを含むツアー例

下記は一例です。このままでご旅行いただくもよし、様々なアレンジを加えて、あなただけのオリジナルなボスニアツアーにすることも可能です。

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