ボスニア東部・スルプスカ共和国に属する塩の採掘と温泉を産業の中心とする小さな町ですが、この街の名はそれ以上に、「スレブレニツァの虐殺」として知られています。これは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1995年7月、スルプスカ共和国軍によって推定8,000人のムスリム人が殺害されたとされる大量虐殺事件で、第2次世界大戦以後ヨーロッパ最大のジェノサイド(2004年、オランダ・ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)にて認定。しかしこの認定には議論もあり)といわれています。
スレブレニツァの北西約6kmのところにあるポトチャリには、スレブレニツァ虐殺記念館・碑・墓地があります。建設費用は600万ドル(うち100万ドルがアメリカの寄附)で、2003年9月20日に開設され、アメリカ元大統領ビル・クリントンが立ち会いました。集団埋設地から発掘される虐殺被害者の遺体は、セルビア人勢力が事件の隠蔽のために埋設地の遺体の場所を次々に移し変えたため不完全なものが多く、手や足など、体の一部のみが見つかる事例が多いといわれます。DNA鑑定によってそれら遺体の身元が特定され、埋葬に十分な量の遺体の各部分が集まると、毎年7月11日にポトチャリの記念館で埋葬が行われます。