マケドニアで開催されるフォークロアのイベント・イリンデンフェスティバル。その見学だけでなく参加もしたり、地元のフォークダンスグループとの交流やレッスンをメインとしたツアーを実施させていただきました。そのため、かなり深くマケドニアやバルカンの民間文化を盛り込んだ内容でしたので、一般的な観光ツアーでは行かない様なところ・行わないような体験が多く、バルカンらしいドタバタもありましたが、ご参加の皆様のご理解や、ダンスの先生をはじめ受け入れてくれたマケドニアの方々の温かいおもてなし、ガイドや現地会社のおかげで、無事にツアーを成功させることが出来ました。ありがとうございます!
ビトラ
イリンデンフェスが行われるのは、マケドニア南西部のビトラ。この街は行政機関も多く、1991年9月のマケドニアのユーゴスラヴィアからの独立の際にはスコピエと並んで首都候補で、国民投票でスコピエに決まったという歴史がある街。そのためか、スコピエに対する対抗心のようなものがあるそうで、人々は働きに行くとしたらスコピエより外国に行くそう。在外のマケドニア人コミュニティはカナダのトロントが最大で、次がオーストラリアのメルボルンだそうで、外国から帰ってきた人が、故郷に錦を飾る的に、その国の国旗を立てたりするそうです。メインストリートは歩行者天国になっており、レストラン、カフェ、スーパーやお土産物屋などお店が沢山あり便利です。
地元のフォークダンスクラスの先生によるレッスンと交流♪
実は幹事さん等数名は、昨年も同じフォークダンスの先生のレッスンを受けており、「難しい踊りを玄人向けに教えるのではなく、基本のリズムなど基礎から教えてくれる先生の指導スタイルに好感を持った」とのことで、今年も訪れることになりました。実際、今回のレッスンでもまず最初に教えていたのは、手を繋ぐ際の手指のフォームでした。
先生が教えているのは一番年上のクラスということですが、子どもたちは見た感じ高校生くらい?日本から我々がやってくることを生徒さんたちに話すと、次から次へと「私も来てもいい?僕も行ってもいい?」と集まってきたそうです。フォークダンスといってもゆったりしたものだけでなくかなりハードなものもあるので、そんな若い子達でも1曲踊ると肩で息していた程でした。
日本からの皆さんもベテランさんやダンスの先生方ですので、子どもたちと一緒にすっと踊れるのはさすが!音楽ってやっぱり国境がないですね^^♪
イリンデン・フェスティバル
1回目のレッスンの後は、先生からマケドニアの衣装をお借りして、ビトラの街のメインストリートを歩くパレードに参加しました。世界各地からやってくるフォークロアの団体の中でも、アジアからはとても珍しいのでしょう、一緒に写真を撮ってといってくる人がとても多かったです。
パレードの後はフェスの初夜!私たちも踊りを披露するので、大急ぎで浴衣に着替えてディナーを済ませて会場へ。先生いわく、日本のグループの出演はこれが初めてだそう!
他の団体のステージを見るのも楽しみですが、初舞台を前に皆さん少々興奮気味!?パフォーマンスの前には、司会者によるMCがあり、ガイドさんいわく日本についての紹介(良質の絹が取れるとか)や、曲の紹介を話していたそう。持ち時間約10分の中で、まず1曲目にソーラン節、次に花笠音頭を踊りました。前夜(日本からの到着日の夜にも関わらず!)にホテルで相談・練習されていた甲斐もあり?、曲と曲のつなぎもバッチリ!おそらく見に来ている人の多くの人は日本の踊りを生で見るのは初めての方が多いのではないでしょうか、とても注目されていましたよ^^
初日だけではなく、最終日にビトラ郊外にあるモザイクで有名なヘラクレア遺跡で行われるインターナショナル・デイでも踊りを披露することになっており、そんなわけか、急遽、地元のメディアのインタビューも入ってきたり、ビトラの市長さんから最終日に出演する6グループの代表者を集めてミーティング要請が来たり。その要請が来たのがミーティングの1日前というのがなんともまあマケドニアらしいというか^^; 光栄な話ですが、私たちは急遽予定を変えなければいけないのでドタバタ(苦笑)!ガイドさんは役人とのミーティングはよく時間が押すんだよ…と懸念していましたが、時間通りに実施されたそうで良かった良かった^^
観光もしていますよ^^
ダンスだけではなく、もちろん観光もしているのですが、訪れる場所もフォークロア・民間文化関連のところが多めで、マケドニアで一番コレクションが多いといわれている民族衣装の博物館(購入も出来る)や木造工芸品店、マケドニア版和紙店やオフリドパール店などなど。オフリドパールの秘密、知りたいですか^^?一緒にオフリドに行きましょう~^^と、いうのは次回で、その一番の秘密は製造工程で塗布する、魚の表皮から取れる成分によって作られたツルツル剤にあるそう。店員さんいわく、この魚がオフリド湖とバイカル湖でしか生息していないのだそうです。エリザベス女王もこの店の真珠を身に着けているそうで、価格は日本よりずいぶんとお得感があり!
イリンデンフェスティバルの名前の由来の街・クルシェヴォ
イリンデン・フェスティバルの「イリンデン」とは、聖イリン(イラヤ/エリヤ)の日とのこと。正教では現在私たちが使っているグレゴリウス歴ではなく、ユリウス暦でクリスマスも祝っていますが、この聖人の日も同じことで、それはユリウス暦07月20日(現08月02日)です。1903年のこの日に、当時このあたりを支配していたオスマン帝国への蜂起が起こった街が、マケドニアで一番標高の高い街といわれているクルシェヴォ。蜂起は最後には武器もなく石を投げてでも戦ったといわれ、10日で約7,000人のマケドニア人の死者を出し失敗に終わってしまいました。
街にはそんな抵抗の心を表す有名なモニュメントが2つあります。1つはマケドニウムといって、鉄球にとげとげをつけた武器をイメージしているそうです。もう1つは石を投げている蜂起のリーダーの一人ダメ・グルエフの像で、その下には「自由か死か」と書かれていました。
ガイドさんいわく、この像はユーゴ時代にベオグラードで作られ、ここへ運ぶために通過する道は通行止めにされたそうです。その移動距離短くてもざっと560km!毎年08/02にはここでマケドニア大統領が演説をするそうです。
この街では、ワイン樽の製造工房も訪れました。マスターのミレさんは84歳で5代目で、樽作り一筋!この工房のある通りは職人通りといわれ、以前は60の店があったそうです。
お菓子のロクム店も訪れました。試食をしたら美味しいこと!なんでも元祖ロクム店だそうで、トルコ人が持ってきたのを改良して良くしたものを彼らは自分のたちのものとして国に持ち帰ったそう^^;食感はゼリーよりもっと柔らかくてゆべしのよう!メレンゲも色毎に味が異なり、今日はもう店じまいしても良いのじゃないかというくらい、皆さん結構買われていましたよ~^^
クルシェヴォの街は先住民族ブラフ系も多いそうですが、彼らは同化傾向が強く、その数はだいぶ減っているそうです。
食関連のこともより深くマケドニアらしさを・・・。
このツアーでは、お食事も一般的なレストランだけでなく、山奥の隠れ家的レストランであったり、滞在型のプライベートヴィラであったり、オフリド湖が見渡せる村の一般家庭にお邪魔もしました。
夏ですし野菜が豊富に取れるのですよね、きゅうりは腕くらいあるのも珍しくなく、スイカはごろごろ。日本人は「もったいない」という感情が強いから、量は少なめにとお願いはしているのですが、文化の違いですね~。毎回食べきれないほどのお料理を提供していただき、どれもホントに美味しいのですがやはりもったいないと思ってしまいます。現地会社は食べ切れなかった分は、恵まれない子どもたちのために寄附してくれるようにとお願いしているそうです。
食事を頂くだけでなく、料理を習うこともできますし、そこまで本格的でなく、自家製ワインを飲みながらちょっと野菜のカッティングをしてサラダを作ったり・・・という体験も出来ます。
バルカンでは養蜂も長い歴史があり、近くの養蜂場では今昔の養蜂が見られました。
余談ですが、スコピエの空港の名称や、マケドニアの国名に関する伝説など
先日、スコピエの空港の看板から「アレクサンダー」の文字を撤去したというニュースを見ました。たしかに看板は単なるスコピエ空港になっていましたが、出入国スタンプは未だに「Aleksandar Veliki Skopje」(笑)。ギリシャ人はきっと空路で来ないだろうから良いのかしら?と、一人ふふふとほくそ笑んでいました^^;
マケドニアという国名のせいで、ギリシャと揉めているマケドニア。国レベルのでは国名変更に同意をしたとのニュースも読みましたので、ガイドさんに空港のスタンプの件を話してみたところ、国名変更は最終的には国民投票で決まるらしく、そもそもギリシャにそういわれる筋合いはないという根拠を話してくれました。
いわく、伝説によると、エジプトの王が2人の息子をこの世界に放し、そのうちの弟の方が現在のマケドニアを中心としたギリシャ、ブルガリア、セルビアのあたりに住んだといわれており、彼の名が「マケドン」というそう。ふむふむ。
またまた名言でました!
以前、あるマケドニア人から「僕らは一度ケンカを始めたらやめ方を知らないから、ケンカをしないんだよ(笑)」という発言を聞き、なるほど~と、かなりスパイスの効いたジョークに納得すると共にぞっとしたものです。
今回は、「バルはhoney、カンはbloodだから、バルカンとはハニー&ブラッドという意味だよ」とのことに、なるほど~!たしかに言いえて妙!と。あれ、でも柴先生の「バルカンの歴史」には、「バルカンとはトルコ語で「樹木におおわれた山」の意味」と書かれていますし、「ハニーってバルでなく、Medじゃなくて?」と尋ねると、トルコ語でバル=ハニー、カン=ブラッドとのこと。たしかに、バルとカンで分割するとその通りだわ!
同じ場所を訪れても人によって見せ方・伝え方は違うので面白いです。