今年の初めに、福島の浜通り地区へ、東日本大震災関連施設を中心とした視察に行かせていただいたことがきっかけで、他社と共同で11月に福島第一原発の構内見学を含むツアーを実施しました。その様子を少し書いてみます。
第二原発や中間貯蔵施設視察はこちらのブログに書いています。
福島第一原発(大熊町・双葉町)
限られた枠ではありますが、東京電力さんの案内により、福島第一原発の構内の見学ができます。まずは廃炉資料館で身分証確認や注意事項の説明、個人線量計とそれを入れる薄手のベストの配布、震災・原発事故・廃炉等に関する短いビデオをみて、空港のようなセキュリティチェックを通って東京電力さんの用意したバスに乗り福島第一原発へ。スマホやカメラは持ち込めないので、ほとんどの荷物は廃炉資料館に置いていきます。約20分程度の移動中には、協力会社の女性スタッフによる車窓案内がありました。このあたりの道中で最も線量が高かった地点で1.2マイクロシーベルト/hくらい。
今回の見学コースは短い方のものでしたので、構内視察の時間は実質約40分。
既設多核種除去設備(既設ALPS)、増設多核種除去設備(増設ALPS)、高性能多核種除去設備(高性能ALPS)を車窓見学し、1~4号機原子炉建屋まで約100mくらいと間近に見えるブルーデッキでバスを降車。設置してある線量計の値はさすがにぐっと上昇してはいるものの、51マイクロシーベルト/hくらいが目にした最大値でした。1,3,4号機と3基の建屋が水素爆発をして無残な姿となった福島第一原発。各号機の状況に応じて廃炉作業が進められているものの、事故から13年経ってもまだ1号機は覆いをしておらず、爆発した建屋の様子を目にしたことが、とても衝撃的でした(今後1年くらいで覆われる予定だそうです)。
その後、バスに乗り別の建物内でALPS処理水サンプルやラジウム泉を使って、実際に簡易的に放出線量をチェックしてみせてくれたり、トリチウムについての説明など、処理水問題についても色々と知ることが出来ました。
廃炉資料館へ戻る間、戻ってからも質疑応答タイム。東京電力スタッフさんの、どんな質問にも丁寧に答える姿が印象的でした。配布された線量計の返却時に値を確認すると、0.01ミリシーベルト/h。歯科レントゲン撮影1回と同じくらいの被ばく量だそうです。
理解を深めるためには、正しい情報を伝えることが大事だという姿勢を感じます。
防護服も不要で、爆発した建屋のすぐそばで自分の目で見ることは、どんなニュースや資料よりも考えさせられるものがあります。
震災遺構 浪江町立請戸小学校(浪江町)
海から200mほどのところにある請戸小学校も、震災・津波で大きな被害を受けましたが、全員が無事避難することができた奇跡の学校としても知られており、「震災を風化させず、多くの人に震災を自分事として捉えて欲しい」との思いから、被害を受けた校舎が保存されています。ニュースで何度も津波の映像は目にしているかと思いますが、自分の身をその場に置いて、身の丈と照らし合わせてみると、本当に被災は他人事ではない・各自の防災意識が大事と実感します。
東日本大震災・原子力災害伝承館 語り部講話(双葉町)
今年2月に訪れた時に感じた「ポツンと感」は、周辺の祈念公園整備や道路工事により、だいぶ薄れてきつつあるように思いました。常設展はその時にみているので、語り部講話のほうに時間を使いました。この日お話しくださったのは、大熊町出身の小泉良空(こいずみみく)さん。震災当時まだ小学校中学年だったそうで、彼女にとって原発は日常生活の一部。遠足、どんぐり拾い、花見と、楽しいときに行く場所というイメージだったそうです。地元を離れて生活をするも、やはり帰りたい、でも帰ると「地域のために何かしたいんだよね?」的なことを聞かれるのが嫌だったそう。「ただふるさとに帰りたい。それだけ。」という実にシンプルで当然な理由なのだけど、場所が場所だけにその気持ちまでが窮屈な思いを受けるというのが考えさせられるものがありました。でも今は、「故郷に帰りたいだけ。それが何か?」と堂々と言えるようになったそうで、そこに至るまでいろいろとご苦労や葛藤があったことと思いました。
NPO法人野馬土(のまど)による案内
NPO法人野馬土は、東日本大震災の被害を受けた農家さんたちが中心となり、2012年に設立され、原発事故の影響による食品の安全性に対する不安や健康に対する不安をとどめるための事業を行い、農業復興を目指し活動されています。また、現地の実情を伝えるために、福島原発20km圏内を案内するツアーも実施しており、今回はそれをお願いしてみました。ガイドは飯舘村出身の渡辺氏。ご自身の体験も含めて、しいたけによる内部被ばくのこと、除去土壌の利用についてなどなど、多岐にわたりお話しくださり、ただその場を見るだけとはまた少し違った観点から考えることが出来ました。