今回の旅の中では、5つの強制収容所跡を訪れました。そのどれもがとても印象深く、それぞれ異なる保存や展示の仕方がありましたので、その違いを中心に書いてみます。
楽しい観光中にわざわざ暗い歴史に目を向けなくても良いという考えもあるとは思いますが、観光は平和産業というのであれば、その平和を維持していくために何をすべきで何をなさぬべきか、世界中のひとりひとりが自分の目で見て感じて、自分の頭で考えることがとても重要だと思います。無知とは恐怖より末恐ろしいものです。
トレブリンカ強制収容所メモリアル
施設は証拠隠滅のために完全に破壊されて残っていませんが、その一部が再現されています。ラインハルト作戦に基づき建設された絶滅の為の収容所なので、後述の労働収容所としての施設よりも収容人数が少ないので規模としてはコンパクトです。
枕木が並べられた鉄道路線に沿って進んでいくと、列車の停車場からすぐのところにまず殺害施設があり、たしかに到着後すぐ亡くなっていったことがよく分かります。コルチャック先生もここで亡くなりました。
周りは森で人の気配がなく、具体的な施設がなくてメモリアルだけというのが、かえってまさにこの場所の当時の情景を豊かに想像させるようで、停車場に立った時には、本で読んで思っていたよりもずっと短時間で効率的に殺害計画が実行されていたのだという事実に、ぞっとしました。
さらに奥に進んでいくと、労働キャンプや処刑場の跡地やメモリアルがあります。
マイダネク強制収容所メモリアル
一方、ここは唯一、当時のままのガス室やクレマトリウム(焼却炉)が残されており、実際にそれらを間近で見ることができます。ガス室の壁にいまだに青々と残るチクロンBの痕跡は、ここでの仮想ではないリアルな現実を示していて、思わず「うわっ!」と声が出たものの、その後言葉を失いました。
クレマトリウムは中まで実際に遺体を焼いた内部まで見ることができ、遺体を運ぶためのトロッコなども展示されています。遺灰は隣接する霊廟内部に盛りまつられており、静かに強烈なメッセージを発していました。
各バラックは一部はオリジナルのものもあり、劣悪な生活環境も知ることができます。今回、あえて冬の時期を選んだのは、実はそんな理由もありました。洋服1枚・隙間風の入る木造バラック・すし詰め状態の非衛生なベッドなうえに、栄養不足と重労働・・・。私はもちろん防寒対策をしてきてはいるのに寒くて、暖房の効いている展示棟に入って暖を取ったりしながら見学しました。身をもって「当時の様子が想像ができる」というのがおこがましいほどの生活環境であったということを感じました。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所博物館
今回私たちは、世界中の人が集まる6時間のスタディ・ツアー(英語)に参加してみました。各バラックごとにテーマに基づく展示があり、収容所の概要・囚人の生活・生体実験などのいくつかの棟や銃殺に使われた死の壁、絞首刑場、復元されたガス室や焼却炉の模型など多くのものを見学しました。
元々兵舎であったレンガつくりのバラックは、他の木造バラックよりは頑丈なので、オリジナルのまま残されているものもあります。ガイドツアーでは、個人見学では入ることのできないそんなバラックも見られました。
一方、絶滅施設としてのビルケナウは、広大な敷地に木造バラックが建っていましたが、ソ連軍が迫ってくる前にドイツが破壊したためほとんど残っていません。その破壊状態のままで公開されているので、ここで思うのは、アーリア人至上主義という信念に基づき正しいことをしているというのであれば、なぜ破壊したのか?ということです。それは逆に、その施設が行為が、良くないことであるという認識があったということを証明していますよね。その上で、このような大量虐殺が実行されていたことに、改めて大いに考えるべきものがあります。
今回の旅では、この前にいくつも収容所を見てきていたので、本当にある意味ここが最終地点・総まとめ的な位置づけで、一連のこうしてあまりにも非人間的で効率性や予算に基づくシステマチックな構造をみてくると、もはやこれらは「収容所」ではなく、「殺人工場」であるというのもよく分かりました。
ツアーの数日後、博物館からのメールも来ており、後世に伝えていこうという意志が非常に強く感じられました。
グロス・ローゼン強制収容所博物館
「労働」というけれど、実際にはどんな労働をしていたのだろう?成人男性が平均5週間しか生存できなかったという労働っていったいなんなんだ!?そんなことは普通では考えられないぞ!?という疑問の1つの答えが、この収容所で目にすることができます。
ここは主に労働収容所として機能していましたが、終戦間近になるとここでも大量虐殺が行われることになりました。施設の多くは破壊されて残っておりませんが、隣接の石切り場が公開されており、なるほどこの固い岩山を相手に石を切り出す作業は過酷ですし、池に落ちても誰も助けてはくれないでしょう。
上記3箇所ではあまり目にできなかった実際の労働の現場は、またひとつリアリティをもって訴えかけてくるものがありました。
ザクセン・ハウゼン強制収容所博物館
ここはポーランドではなく、ドイツのベルリン近郊にあります。
基幹部分は三角形をした典型的な刑務所スタイル。実際、初期の囚人は政治犯やそれなりに知名度のある人々も多かったそうで、ポーランドにある強制絶滅収容所とはかなり異なった印象を受けました。
例えばそのひとつが、敷地内の看板です。「この場所はドイツの警察組織による犯罪の場所である。現在この場所で良からぬ行為をした者は刑事上の処罰対象になる」というようなことが書かれています。
また、破壊されたポーランドの収容所とは全く異なり、逆にここは戦後はソ連による収容施設として利用され、ベルリンの壁の建設やアイヒマン裁判と同年の1961年からは、反ファシズム記念施設として開館したそうです。
ベルリンから程近く列車でアクセスできるので、ぜひ足を運んでみてほしいところです。