司教代理であったヤン・ネポムツキーは王妃の告解した秘密を王に明かすことを拒否したため、プラハ旧市街で拷問の上殺害され、遺体はカレル橋からヴルタヴァ川に投げ込まれ、その瞬間5つの星が彼の頭上に現れたと伝えられています。その後、18世紀初頭に遺体は白骨化しているも舌が原型を保っていたことから聖人に列せられ、教会建築が始まりました。
五芒星形の教会、五つの門、五つの礼拝堂、五つの祭壇、五つの星や聖人を象徴する舌など、建築家サンティニは聖ヤン・ネポムツキーにまつわるさまざまな象徴を全体設計や内部装飾に多分に組み込み、その個性的な建築はユネスコ世界遺産に登録されています。