日本サッカー界に大きな足跡を残したイビチャ・オシム氏。
2006年から2007年にかけて日本代表監督を務め、「考えて走るサッカー」という言葉とともに、多くのサポーターの記憶に残っています。
そのオシム氏の故郷が、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボです。
サラエボは単なる地方都市ではありません。
オスマン帝国とオーストリア=ハンガリー帝国の文化が交差し、第一次世界大戦の発端となった歴史を持ち、さらに1990年代のボスニア紛争を経験した街でもあります。
今回は、日本代表元監督オシム氏ゆかりの地として、サラエボの魅力を紹介します。
イビチャ・オシムとは?日本代表元監督とサラエボの関係
イビチャ・オシムは1941年、サラエボで生まれました。
現役時代は旧ユーゴスラビア代表として活躍し、その後は監督として旧ユーゴ代表やオーストリアのクラブ、日本のジェフユナイテッド市原・千葉、日本代表などを率いました。
旧ユーゴ紛争の影響で故郷サラエボが戦禍に巻き込まれたことは、オシム氏の人生観や発言にも大きな影響を与えたと言われています。
日本のサッカーファンにとってサラエボは、「オシムの原点」を感じられる場所でもあります。

オシムの故郷・サラエボとはどんな街?
サラエボはボスニア・ヘルツェゴビナの首都であり、「ヨーロッパのエルサレム」とも呼ばれる多民族都市です。
モスク、カトリック教会、正教会、シナゴーグが比較的近いエリアに共存し、東西文化の交差点として発展してきました。
旧ユーゴ時代の1984年には、サラエボで冬季オリンピックが開催されました。
バシュチャルシヤ(旧市街)
サラエボ観光の中心となるのが旧市街バシュチャルシヤです。
石畳の路地、銅細工店、モスク、カフェが並び、オスマン帝国時代の雰囲気を色濃く残しています。
オシム氏も少年時代、この旧市街周辺で過ごしました。
現在も地元の人々がコーヒーを飲みながら語り合う姿を見ることができ、観光地でありながら生活の息遣いを感じられる場所です。
サッカー好きでなくても、サラエボという街の個性を最も感じられるエリアでしょう。

オシムゆかりのサッカースポット
FKジェリェズニチャル・サラエボ
オシム氏を語るうえで欠かせないのが、サラエボのサッカークラブFKジェリェズニチャル・サラエボです。
オシム氏は選手としても監督としてもクラブに深く関わり、生涯にわたってジェリェズニチャルを愛し続けました。
グルバヴィツァ・スタジアム
クラブの本拠地であるグルバヴィツァ・スタジアムは、ボスニア紛争中に大きな被害を受けた場所でもあります。
現在は改修され、再び地元サポーターの声援が響いています。
試合日には観光地とは違うサラエボの一面を見ることができます。
サッカーファンであれば訪れてみたい場所のひとつです。

オシムゆかりのレストラン・チェヴァピ店
サラエボを訪れるサッカーファンの中には、オシム氏が親しんだ店を訪ねてみたいという方も少なくありません。
旧市街バシュチャルシヤ周辺には、オシム氏がよく利用していたことで知られるチェヴァピ店が残っています。
ボスニアを代表する料理チェヴァピは、単なる名物料理というだけでなく、地元の人々の日常に根付いたソウルフードです。
オシム氏が生まれ育ったサラエボの空気を感じたいのであれば、歴史的な観光地を巡るだけでなく、こうした地元の人気店で食事をしてみるのもおすすめです。
サラエボの街並みを歩き、チェヴァピを味わいながらコーヒーを飲む時間は、オシム氏が見ていた日常の風景を少しだけ追体験できるかもしれません。

Ćevabdžinica Željo(チェヴァブジニツァ・ジェリョ)
サラエボ旧市街バシュチャルシャにある、最も有名なチェヴァピ専門店のひとつです。
観光客だけでなく地元の人々にも人気があり、ボスニアを訪れたら一度は名前を聞く店と言えるでしょう。
オシム氏もこの店の常連として知られ、サラエボを訪れたサッカーファンが立ち寄る定番スポットのひとつになっています。
看板メニューは、香ばしく焼き上げたチェヴァピとレピニャ(平たいパン)の組み合わせです。
豪華なレストランではありませんが、地元の人々が集まるサラエボらしい雰囲気を味わえます。

Pod Lipom(ポド・リポム)
こちらも旧市街バシュチャルシヤにある人気チェヴァピ店です。
サラエボでは「どちらが好きか」で地元の人々の意見が分かれることもあるほど、Ćevabdžinica Željoと並ぶ有名店として知られています。
オシム氏も利用していたとされ、サラエボのサッカー関係者や地元住民にも親しまれてきました。
旧市街の散策途中に立ち寄りやすく、テラス席からはバシュチャルシヤの雰囲気を感じながら食事を楽しめます。

オシムのサラエボで訪れたい歴史スポット
ラテン橋
サラエボを訪れる多くの旅行者が立ち寄るのがラテン橋です。
1914年、この近くでオーストリア皇太子フランツ・フェルディナントが暗殺され、第一次世界大戦の引き金となりました。
オシム氏自身も歴史や民族問題についてたびたび言及しており、故郷サラエボの複雑な歴史を抜きに彼を語ることはできません。
観光地としてだけでなく、20世紀ヨーロッパ史を考える場所としても重要なスポットです。

戦争トンネル博物館
ボスニア紛争を理解する上で訪れたいのが戦争トンネル博物館です。
1990年代のサラエボ包囲戦では、市民生活を支えるため空港地下に秘密のトンネルが掘られました。
オシム氏が世界各地で監督を務めていた時代、故郷サラエボは激しい戦火の中にありました。
この博物館では、その時代の現実を知ることができます。

サラエボを歩くと見えてくるオシムの言葉の背景
オシム氏の言葉には、サッカーだけではなく人生や社会への深い洞察がありました。
その背景には、
・多民族社会で育った経験
・戦争による故郷の苦難
・異文化の共存を見続けた人生
があったと考えられます。
実際にサラエボを歩くと、モスクの呼びかけと教会の鐘が同じ街に響き、様々な民族や宗教が共存する風景に出会います。
そうした環境こそが、オシム氏の思想を育んだ土壌だったのかもしれません。
サッカーファンにおすすめしたいボスニア旅行
ボスニア・ヘルツェゴビナは、日本ではまだ旅行先として広く知られている国ではありません。
しかし、オシム氏やヴァヒド・ハリルホジッチ氏など、日本サッカーに大きな影響を与えた人物たちの故郷でもあります。
サッカーが好きな方にとってボスニアは、美しい街並みや歴史、おいしいボスニア料理を楽しむだけではなく、「日本サッカーのルーツの一端をたどる旅先」と言えるかもしれません。
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